今日は「咸臨丸出港記念日」
江戸幕府の軍艦「咸臨丸」が、江戸品川沖を出発したのが1860年(万延元年)の今日(旧暦1月13日)とされている。
その咸臨丸には、勝海舟(艦長)・福澤諭吉・中浜万次郎(ジョン万次郎:通訳)らの遣米使節が乗っていた。日米修好通商条約の批准書の交換が目的であったが、日本人初の正式な太平洋横断航海でもあった。また、咸臨丸がアメリカ・サンフランシスコに到着した日は同年の旧暦2月26日で、その日は「咸臨丸の日」となっている。
咸臨丸は、木造でバーク式の3本マストを備えた蒸気コルベットであった。「咸臨」とは古代中国の書物『易経』より取られた言葉で、君臣が互いに親しみ合うことを意味する。
福澤諭吉は、この咸臨丸での体験がきっかけだったのか、勝海舟のことをひどく嫌っていたとのことで、その後何年も経ってから「瘦せ我慢の記」で舌鋒鋭く勝海舟(と榎本武揚)のことを批判しています。一方、海舟は「氷川清話」の中で、福澤が自分のところに事前に原稿を送ってきたと言っています。その際海舟は、「批評は人の自由、行蔵は我に存す」と言って、公表されても差し支えないと答えたとあります。要は、行動は自分がするもの、他人は勝手に批評するもの、従って書きたければ書けば良いということです。この点では勝負あったという感じを受けます。