皆さん、近所を散歩している時に、道端に古びた祠や石仏、はたまた石碑がいくつもあるのをご覧になったことがおありだと思います。
石仏や石碑はすでに風化で摩滅していて彫られた文字や表情はかなりおぼろになっていますが、それらが馬頭観音(写真左)であるらしいことや、庚申塚(写真右)であることは分かります。昔の人々の信仰の対象であったそれらの石仏や石碑がどれだけ残されているのか興味を持ち、あらためて何度か歩いて回ってみました。
そして、これらのものはこれまでどのように維持されてきたのか、どなたがお世話をしておられるのか花が手向けられていたりきれいに掃除されています。ハイムに住む新来者の我々には分からないことが多く、できればご存知の方にお話を伺ってみたいとかねがね思っておりました。

そんな中、一つこれまであまり耳慣れなかった碑がありました。それは「蚕影山」と書かれた石碑です(写真右下)。なんと読むのか、サンエイサン?どうも違う、では一体?インターネットで調べてみてそれらしいものに行き当たりました。蚕・養蚕の神様で、筑波に本社がある「蚕影(山)神社」、蚕影は「コカゲ」と読むようなのです。つまり、中野島でも養蚕を行なっておられたということの証でもありましょう。

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現に、この明治39年の地図をみると多摩川の河川敷や、あちこちに桑畑の表示(Yの形に似た印)があるではありませんか。また、この時点では、今の登戸新町に当たるところも土手の外側の河川敷であり、桑が植えられていたことが分かります。

なお、これらの石仏・石碑については小学校の社会科の副読本にも詳しく紹介されていることをつい最近になって知りました。ただただ、筆者のこれまでの不勉強に恥じ入るのみ。

(Henk)

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