私のふるさと~東京都新宿区四ツ谷の思い出(その1)

1948年生まれの私は、鹿児島から3歳で東京豊島区へ引っ越し、小学校〜中学3年2学期まで「新宿区四ツ谷1丁目」に住んでいた。小中共四ツ谷駅のある四谷見附の交差点に近い学校で、上智大学、学習院、イグナチオ教会、迎賓館(当時)、外掘公園もあり、10分ほど歩くと、「お岩さんの幽霊」がでる四谷怪談の「須賀神社」もあった。

 少し新宿に近い所に、三島由紀夫が自分の親衛部隊を引き連れて突撃して自衛隊の蜂起を迫り、失敗して切腹した「市ヶ谷、自衛隊総司令部」もあり、何度も中に入る機会もあった。そこから少し市ヶ谷方面に歩くと、音楽バンドの人達に知られる有名なライブハウス「バックインタウン」もある。

 「イグナチオ教会」はカトリックで、その建物は駅付近では目立ち、上智大学の隣に位置している。私も家族も信者ではないが、私は小学4年生頃からその日曜学校に通っていた。理由は上智大学の神学科の学生が遊んでくれて、クリスマス会ではプレゼントが貰えたからで、そのときの子供劇では私がマリア様の役を演じた。その関係で、お祈りを覚え、未だに信者ではないが、欧州を旅する時は、各地の大聖堂を巡っている。

 スペイン北西部にあるサンティアゴの大聖堂「サンティアゴデコンポステラ」を目指して歩く巡礼の道「カミーノデサンティアゴ」をバイクで走破した。この大聖堂はキリスト教の三大聖地と言われ、ルネサンスの頃から現代でも毎年何十万人もの人々が世界中から巡礼の道を歩いて聖堂を目指している。

 「迎賓館」は当時未使用の空き家状態で、子供の私たちは柵の間をくぐり抜けて庭で遊び、建物の中を探検するのが楽しかった。その後、一時期は国立図書館となり、現在は綺麗に改装されて国立迎賓館となっている。

 赤坂から四ツ谷、市ヶ谷の先まで「外濠り(ソトボリ)」が取り囲んでおり、その堀の内側が皇居だ。その濠を囲むように長い土手の公園があり、散歩道として、生徒や学生の課外授業の場所になっていた。桜の木がずらりと並んでお花見の名所でもあった。

 私が小学校の頃、その土手に咲く「からたちの花」の葉に付いたアゲハ蝶の卵を葉ごと持ち帰り、幼虫から成虫になり飛び立つまで、毎朝土手の新鮮な「からたちの若葉」を積んで帰り、幼虫を入れたお菓子箱に入れた。(その2に続く)

東 賢太郎

私のふるさと~東京都新宿区四ツ谷の思い出(その1)” に対して2件のコメントがあります。

  1. アバター ヤタガラス より:

    記事に出てくる「スペイン北西部にあるサンティアゴの大聖堂「サンティアゴデコンポステラ」を目指して歩く巡礼の道「カミーノデサンティアゴ」について。

    1998年10月、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の最終地であるガリシア州と、熊野古道の最終地である和歌山県は、古道の最終地としての永続的な友好関係を確立するため、両古道の姉妹道提携を締結しました。

    2004年7月には熊野古道を含む紀伊山地の霊場と参詣道(和歌山県・奈良県・三重県にまたがる)もユネスコの世界遺産に登録され、世界にたった2つしかない道の世界遺産どうしの交流を続けています。

    最近、熊野古道を歩くスペイン人に聞いたところ、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路を踏破したあと、この熊野古道も歩きたいと思ってやってきたとのことでした。

    新宮高校出身の同級生の女性Oさんは、何年か前、逆にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路に行って来たそうです。そういえば、この記事の筆者、東さんも両方の道を踏破したお一人ですね。世界は狭くなりましたね。

  2. アバター 東賢太郎 より:

    ヤタガラスさん、コメントありがとうございます。
    「両古道の姉妹道提携を締結」それを全く知りませんでした。嬉しいお話です。
     熊野古道は日本で広く知られてはいますが、まだ未経験の人が多いでしょうから、
    紀伊半島の海岸線をドライブして、新宮に車を止めて、古道を歩くプランはお勧めですね。
     私は古道の入り口までで、その先は私も未経験。足が元気な内に歩きたいです。補足ですが、サンティアゴまで行ったら、そのすぐ下、川を渡し船で越えるとポルトガル。
     一番南の首都リスボンへ向かう途中に、日本の赤玉ポートワインのきっかけになった都市、川と港の「ポルト」があり、生でファドを聴きながら、ポルトガル縦断がお勧めです。

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