続おぼろげ記憶帖 (11) 未熟なフランス語
日本語は情景・様子・風景などを説明してその後に主語と述語が来ます。フランス語では主語・述語の順、何がどうした!という事が判れば後はとても分かりやすいのです。例えば日本語では“美しい景色を私は見ました” フランス語では”私は見ました美しい景色を“という具合です。大失敗をしたことがあります。食料品店で “レモン2つ”と頼んだら“甘いレモンはない”と言われ店の中で笑いものになり、50年経っても苦い思い出となっています。この時は主語も述語も文章も全く判らず、単語を2つ並べただけで買い物をしていました。つまりcitrons deux は日本式にレモン 2つ。フランス語ではcitron doux。2つと甘いが同じ発音だったのです。正確にはdeux citronsでやっと買い物が出来ました。言葉は全く出来ないのにこのように叱られたり意地悪をされたり笑われたりする時には本能的にしっかり理解できるのですから不思議です。
ABCの読み方も知らずに大学の第2外国語でフランス語を履修したという方からその頃流行っていたソノシート付のフランス語の本2冊を教えられて持って渡仏したのです。幸い1年前に着任していた夫が何を思ったのでしょうか、ミニ版のレコードを10枚も重ねて針を載せれば手間いらずに自然に流れていくという優れもののレコードプレイヤーを買っていました。生まれて14カ月でパリに来た息子は日本語を喋り始めるまでにフランス語の中に居ましたのでとても言葉の遅い子供でした。幼い頭の中はどんなだったでしょうか? 3歳半になって公立の幼稚園に通い始めました。勿論日本人の子は多分初めてで、たった一人だけでした。母親が言葉が喋れないのですから子供は当然無言のまま半年を過ごしました。おしっこという幼児語のpipiと云う言葉を知らなくておもらししたパンツを2度も持ち帰ったことがありました。幼児にまでこんな苦労‽をさせていたのは言葉のせいなのでした。喋ることはしなくても歌を覚えて来て口ずさんでいました。それでレコード屋へ連れて行って歌わせてそのレコードを買って帰りました。フランスの童謡でしたから店員さんもすぐに判ってくれました。それがミニバンのレコードで一日中掛けっぱなし。バックグラウンドミュージックでした。音符も歌詞もついていましたから私もいくつかの歌は覚えました。半世紀経た今でも発音は悪いながらも歌う事が出来ます。恐るべきは音楽の力です。自分だけでなく子供にまで後々になっても大変な思いをさせてしまいました。外国語は35歳までに覚えること。それ以後は教わってもなかなか上達しないと聞いています。これから世界の中で活躍するためには是非にも外国語を習得して欲しいと思います。会話が出来なくて不自由でも片言でも勇気を出して喋ること、勉強することで楽しい時間が持てると思います。海外旅行もうんと楽しくなると思います。私には”遅かりし由良助”でとても残念なことです。写真は「私の素敵なお城」という歌をお皿に焼き付けたもの。見つけた時は大喜びですぐに購入しました。
東 明江
たいへんなご苦労があったのですね。うちの孫はアメリカにいますが、日本語と英語を幼いなりに
使い分けているようです。英語では・・・、日本では・・・という言い方をよくします。