笑説ハイムのひろば53~「Tsuzy」こと 土屋重三

これまで紹介してきた住民以外の協力者はみなつくる会スタッフの友人であった。「Tsuzy」こと土屋重三は、その協力者の一人、山里春夫から紹介された人で、つまり友だちの友だちである。

ある日、山里から西野に、おもしろい絵を描く人がいるけどどうだろうと一枚の絵が送られてきた。山里も参加した同窓会のその絵を見た瞬間、西野の心は動いた。絵の中の大勢の人のうち知っている顔は当然山里ひとりであったが、それがそっくりなのだ。50年以上前に同時入社したときのあの顔は、皺が増えた以外少しも変っていない。「決定賞、欣ドン!?」だった。これはなんとしてでも掲載したい

会場に集まった数十人ほどの人たちを描いた絵は臨場感にあふれ、ひとり一人の表情が実に丁寧に描かれている。100パーセント写実ではなく少し漫画的な要素もありながら、それでいてまぎれもなく現実に生きている人たちがそこにいる。

西野はその絵にひと目惚れした。才能のない自分からしてみるとまさに天才のなせる技である。早速連絡をとって紹介してくれるよう頼みこんだのは言うまでもない。何日かして、土屋から自己紹介もかねて何枚かの作品がメール添付で送られてきた。

家族や友人、会社の同僚、仕事仲間などどれもが生活感に溢れたものばかり。あとで聞いて分かったことは、人生のその時々の場面を切り取って残した日記なのだそうだ。言葉に加えて絵があれば、何年経っても記憶がすぐに蘇る。小学校時代に誰もが描いた絵日記を大人になってもずっと書き続けて来たのが土屋その人だった。

そんなきっかけでお付き合いが始まって早2年が経つ。ある日、土屋から連絡が入った。東北方面に仕事が出来たので、この機会に関東在住の友人たちとも会うことになっている。折角の機会なので、ハイムにも立ち寄りたいというのだ。朗報を受けた西野は、山名賢治にも連絡をして一緒に会うことになった。

当日の朝、土屋は友人をひとり伴って中野島駅に降り立った。出迎えた西野は二人をそのままいつも利用してる洋室に案内した。土屋は、新しい絵を数枚持参してくれていた。いつものように友人や家族を描いたもので相変わらず微笑ましいタッチのものばかり。これも近々掲載しましょうと話しあって、その後我が家に案内した。

実は西野が土屋に会うのはこれが2度目だったが、もう何十年もの知己のように感じるのだった。共通の友人である山里のことを「春夫」と下の名前で呼ぶのがいかにも幼馴染という感じがして心地よい。わざわざハイムを訪ねてくれたのがうれしくて午前中にも関わらず少しのビールで歓迎した後、記念写真を撮って別れた。

後日、この時撮った写真を元に描いてくれた絵が届いた。楽しく対話している様子が感じられる絵で西野にとっては一生の宝物になった。

(笑説「ハイムのひろば」の内容は限りなく事実に近い部分もあるが、登場人物をはじめすべて架空の物語である)

蓬城 新

笑説ハイムのひろば53~「Tsuzy」こと 土屋重三” に対して1件のコメントがあります。

  1. アバター Tsuzy より:

    赤い服の女性は、山里春夫氏の幼馴染み。山奥の中学から高校に上がった私土屋にとっては都会の女の子が眩しくて、3年間ずっと同じクラスだったにも拘らず一度も口をきいたことが無い。それが数年前にヒョンなキッカケから遠方であるにも拘らずお付き合いさせてもらっています。
    この日は初めてのハイム訪問。西野編集長とは2回目の面談。チンパンジーの社会であれば異なるチーム同士が融合するためにはsexが必要なのにホモサピエンスは初めて同士でも直ぐに幻想を共有できる、これが地球上でこれだけ繁栄している要因の一つとイスラエルの学者ノア・ハラリさんは仰る。その上に七十数年生きて来た老人力と言うか人間力、「上善は水の如し。水は方円の器に従う」自らが透明になることでどんな景色にも溶け込むことが出来る。楽しいひと時が過ごせました。十男氏から頂いたコメントの様に、盛り上がっている会話の様子が外からでも想像できる様な絵を描きたいと思っています。
    賀詞交換でも指摘されたように机の上の黄色い包みは山名賢治氏がハイムの近くで買って来てくれた評判の和菓子(どら焼き)で、これも美味しく、印象深かったので描き留めました。

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