今も思い出す田舎の思い出・・・X氏のつぶやき126

85歳になっても忘れない 少年・幼少時代の体験が今も生き生き

稲の緑の田んぼが広がる讃岐平野。その平野の山に讃岐富士・飯山(いいのやま)がポツンとたたずむ美しい光景。

緑の田圃の広がる中に菜の花畑が黄色く輝き、レンゲ畑の可憐な色が緑のじゅうたんの中に美しく輝いていた。

茅葺きの農家の屋根の上には、男の子の誕生を祝う鯉のぼりがたなびいている。

田舎の子供たちはその田圃が遊び場になっていた。特に私は。
菜の花畑はモンシロチョウが楽しそうに飛び交う楽園だった。近所の友達と鬼ごっこをする時、隠れ込むのがこの菜の花畑だった。この中を走り抜けて遊んだ。

また花畑では、その咲きほこるレンゲ畑の中で寝っ転がり天に向かって大の字になって遊んだ。何をするのか!とミツバチが怒って私の顔の周りをブンブン飛んできて、刺すぞ!怒っている。そのミツバチを捕まえてミツバチのお尻にたまっている蜜を吸ってミツバチに刺された私。

小川にはメダカをはじめミズスマシが水面をスイースイ―と泳いでいく。その下では水ぬるんで元気になった小ブナが姿を見せていた。私は川の中にも夢中になった。石垣の積まれた川の堤の水の中の石垣と石との間に入っている生き物が呼吸することで石垣の穴の出口に砂が盛り上がっていた。その砂の盛り上がり方によってその石垣の中にいる生き物を私は何がいるかを当てて友達の女の子を驚かせた。
「じゃあ あそこは 何が入っているの」
と女の子が言うので、私はカニが入っていると言って石垣の穴に手を入れた。
しばらくして私の指にカニの爪が挟まり手を引き出すとカニもついて出てきた。
その女の子タアチャンが叫んだ。
「ウワ、ホント。シンチャン、ハカセヤ」
また別の穴にはハゼが入っていたり、川の中は子供たちの遊びの宝庫だった。

草のクキで、川の砂の中で、口を開いて呼吸をしているシジミの口にその草のクキを差し込み、シジミを釣り出す。こんな面白いことはなかった。学校の中を流れている川でもシジミは釣れた。クラスの女の子は夢中になったものだ。
池や水の中でもアオガエル、トノサマガエルが泣いている。「ゲロゲロ。ここにいるよ!」と子供を呼んでいた。
そうそう ヘビも出てきた。
田圃のあぜ道はいろいろな雑草の花が咲いている。小川には田圃に引き込む水の水路が生物の絶好の住まいでもあった。
バッタもいるが、それを狙うカエルもいる。カエルを狙うヘビもいる。トカゲもいるし、川にはドジョウもいる。私にとっては、ここは興味を駆り立ててくれる遊び場だった。

そんな私は、時々その自然の中で寝転がって眠ってしまったことがあった。
その草の香り、花の香りにつられてか。家族にどこに行った?と探されたことがあったが、近所の友達のターチャンは私がどこで眠っているか、その場所を知っていた。
ターチャンは時々私と遊んで眠り込んだところだったから。
その草花が生い茂る田畑が、広場があったのだ。
その草むらは母のようでもあった。母のふところに抱かれているように思ったのか。母の香りを求めていたのか。何か。女性のやさしさなのか、草花の香りは、私の少年の心をつかんでしまった。

そんなことを85歳になって思い出しているのです。あれは忙しく働く母への思いであったのかもしれない。
お母さんはどんな香りかな
お母さんはどんなやさしさだったのかな
6月1日は私の誕生日
夏の始まりで自然界は大賑わい。
こんな良い季節に私は生まれたのだから、私が草むらで眠るのも当然のことか。私が虫たちと友達となるのも、川の中が好きになったのも 6月1日のせいなのだ。
ありがとう6月1日。生んでくださったお母さんありがとう!
そして私と遊んでくれた ターチャンや近所の子供たち、ありがとう。

讃岐富士(飯山)は、今日も私の讃岐平野を見守ってくれているだろう。

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