レンゲの首飾り・・・ X のつぶやき124

ダンゴムシのボーヤアメリカへ

ダンゴムシのボーヤがアメリカに行くと聞いて何か思い出になるお見送りをしてあげたいと思うと、ふと遠い遠い昔のことを思い出した。 中学2年の3月のこと。
四国の香川県讃岐平野はポカポカ陽気で菜の花が咲き誇り田畑ではレンゲが小さな花を咲かせていた。

私はその前の年の秋、稲(お米)が刈られてにかけられて乾燥させている田舎の風景を水彩画で書きました。 その絵に絵画の先生から「この絵は学生の県展に出品するからホラもう少し描きこみなさい」と言われてその作品を先生は県展に出品してくれた。

年が明けて学年の終わりの3月の初めに県展の発表が朝礼であった。
沢田が朝礼で呼ばれる時はたいてい叱られる時だった。
その朝も校長先生の訓示があって、終わると教頭が台の上って
「2年東組沢田くん、前に出なさい」と力強く言った。 横にいるクラスメイトが笑った。
「お前また何をしたんや ?」
前に出るのをためらう沢田を見て教頭はまた呼んだ。
「 沢田君前に出なさい」
今度は優しく言った。
 私は肩をしぼめて朝礼台の前に出て行ってそっと教頭を見上げた。
 教頭は笑みを見せた。そして全生徒に向かって大きい声で説明をした。
「沢田くんの水彩画が県の展覧会で金賞を取りました。表彰状が届いたので授与します。 沢田君前に出てください」
校長が再び朝礼台に上り沢田に表彰状を手渡した。
「おめでとう」
校長は誇らしげに言った。
2年東組のクラスメイトの拍手が一段と高なった。

私は 絵が上手ではなかった。 絵画の先生が好きだったから絵を描くのが好きになったためか。週に一回写生に出かけるのです。 近くの川原や池や田畑に。 私は絵画の時間は必ず写生に出て次の国語の時間も教室に戻らず絵を描き続けた。国語の先生も絵画の先生と話し合って許してくれた。その代わり作文を出すようにと言われた。
 写生の時間はとても大好きだった。 絵を描きながら遊べたからだ。決してまじめな生徒ではなかったが作文は必ず出した。

 県展、 中学部絵画金賞、澤田真吉。
それは2年4組の金メダルであった。
女生徒たちが男子に気づかれないようにレンゲで首飾りを作った。
お昼休み時間、沢田は女生徒に呼ばれ教室の前に立たされた。
すると、学級委員長がレンゲの首飾り(レイ)を沢田の首にかけた。
「何するんや」
「おめでとう」
「おお、澤田!校長先生の所に行ってこい」
「そうや、 行こう!」
女生徒が沢田をつかまえて無理やりに校長室に連れて行った。
 驚いた校長はすぐ歓迎してくれた。
「よくやったなあ!先生、嬉しいぞ!みんなの金賞だの」
「はい!これ、校長先生に!」
と澤田は首飾りを取って校長の首にかけた。職員室の先生たちもそれを見て拍手をした。
 ほっこりと暖かい空気が流れた。
 校長は沢田を抱き寄せて頭を撫でた。
 校長の首にレンゲのレイが輝いている。
こうして女子が作ってくれたレンゲの首飾りは沢田の首から校長の首に飾られた”

レンゲの首飾り” のことを思い出した3月。 ダンゴムシのボーヤがアメリカに行く,と聞いた時にそのことがこみ上げてきたのです。

思い出に!
出発するダンゴムシのボーヤとその弟にレンゲの首飾りをしてあげられたら!
「元気で行っておいでよ」
私はこの少年に私の少年時代を再び思い起こさせてくれた喜びを抑えることができません。さりげないことが、一生の思い出になると教えてくれる。

3年経ったら帰ってくるボーヤたち、
あのアジ釣りのこと忘れないでね 。また行こうよ!

おじさん待っているからね。
 元気でね!ボーヤ!

3月1日

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