忍びよる秋の気配に思う・・・X氏のつぶやき128

稲刈りの後、田んぼでもみ殻を焼く煙りがたなびいて、
穏やかな農家の至福感が漂う秋の終わりの風景

昭和の始めころの農家は母屋の隣りに納屋があり、
そこが収穫物の収納庫であり、隣りに牛小屋があった

お風呂場は別むねにして、
火災があっても母屋にまで火がまわらないためにそうしていた
そこで思い出すのはその風呂場のことだ
風呂に水を入れる役目は子どもだった
井戸水を汲み上げバケツに入れて風呂場まで運ぶ
五右衛門風呂を沸かすのも子どもの仕事だ

近所の子供達と遊び呆けて、ややもすると風呂のことを忘れて遊び、
フト気がつくと農家の台所から煙りがたなびいている
あ、怒られる!
子どもたちは慌てて帰って行く秋の夕暮 

野良仕事から帰って来たお父さんが「風呂沸いてるか」と言ってお風呂に入る
「お父さん湯加減はどうですか」と子どもが聞きに行く
「ええ湯加減だ」
そうして夕食が終わると子どもたちが風呂に入る

さ、秋の帷がおりた暗やみの庭先を歩いて風呂場まで行く道々が怖くて
薄明かりの風呂場に飛び込んで湯に身をしずめた
ごそごそ音がするのは牛だ 真夏の風呂は楽しかったのに
「湯加減はどうかな」と母が聞きに来るとホッとした
「外に幽霊はいない」とお母さん
「誰もいないよ」

子どもにとって、秋から冬に移る季節は楽しくもあり怖くもありました
夜道を歩いていると自分の足音が誰かがついてくるように思い走りだす
自分の足音が怖かった
都会ではありえない体験を田舎の子どもは体験して育った
子どもながらお月見をしながらお風呂に入ったのです

そんな思い出をお持ちの方いませんか
夜道を歩いてくる人の足音で「あ、あれはあの人だ。もう来るぞ」とわかった
それほど雑音はなく夜は静かだった
忍びよる気配を感じたのです 

さて、いまでは
その言葉は失いかけてはいませんかね
人の心のうちを感じ取るのに、このような感性はいりませんかね

老いて行く気配は感じるのですが
元気を出すのに幼い頃の体験を思い出すのはどうですか?

 

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