ついにコロナ感染・・・X氏のつぶやき123

お正月早々に

あれほど気をつけていたのに正月4日に咳が激しく出るようになり、夕方には鼻水も出るようになった。近くの神社に初詣に行っただけなのにと思うがどこで感染したかは不明のまま、5日の朝激しいので川崎市立たま病院(かかりつけ)に駆けつけると特別室で即PCR検査。1時間後に陽性と判定すると胸の検査、CT を受けて即入院と検査担当医。私は透析を受けていたので 腎センターのドクターの判断を受けた。私は咳と鼻水は出るが幸い熱も36度4分、酸素量は97ある。本人は元気だ

ということで、入院の条件、酸素吸入が必要か、高熱か、いやどちらも大丈夫。となれば病床の事を考えると自宅待機とする。送迎は保健所から車が配車される。その上自宅には市の保健所担当医師から毎日電話が入る。常備食も届く。だから自宅で頑張ってくれと言われて看護師からの指示を待つ。薬は2種類出た。 咳止め・鼻水どめの薬と高齢者の重症を防ぐためのアメリカの薬ラグビーリオというカプセルの薬を渡された。これは大事な薬です。4カプセルずつ12時間ごとに飲んでください。飲み切って下さい。重症を抑える薬ですから。

その薬を宝物のように大切に受け取り、これで大丈夫か?透析をやっているんだ自分は。突発的に重症になることも?不安を抱えて保健所が回してくれた車でハイムのマンションに戻ってきた。

—–咄嗟に思ったこと。

私14階の部屋。どうしてもエレベーターを使わせてもらうのだ。住民の人に感染させてはいけない。どうすればいいのだ。私とエレベーターで一緒にならなければいいのだと浮かんだ。そうだ私が利用するエレベーターの時間をこの階段の住民に伝えておくことだ。その時間はできるだけ利用されないようにとお願いすることだ。朝9時半と午後3時、この時間は病院に行くときと帰ってきて使用するエレベーターの時間。皆さんにご迷惑おかけしますがご理解とご協力をとの手紙を書く。友人に頼んでポストに投函してもらった。ここの住民に感染させてはいけない。そのためには自分が感染したことを積極的に伝えなければならないと決意した。

5日、病院から帰ってくると熱が37度6分。だがカロナール1錠飲んですぐに下がり36度4分の平熱になった。突然の宣告で 食料の準備をしているわけではなく、食べるものは?飲み物は?今夜はどうしようと思っていると、私からの手紙を読んだ住民が、手助けするからと声をかけてくれる奥様が、励ましの言葉を届けてくれるお年寄りの人たち。温かい言葉が私を勇気づけてくれた。高齢者であり透析を受けている私だ。一番コロナに感染してはいけないものが感染したのだと不安があったが皆様のお言葉で勇気が。

なにくそ負けるものか。
病院通いで利用するエレベーターに住民の皆様が協力してくださり、私一人の利用となりました。

そして5日目の10日の透析を終えて、病院としてはコロナウイルス感染の処置は今日で終わるが一般生活に戻るのは1月13日にしてください。ということで、ついに1月13日、無事に特別室での透析を今日で終わり、明日からは自由な生活をして下さいと説明を受けて特別室を出た。一般の方が出入りする出入口から帰ることができた。コロナ感染に勝ちました。住民の皆様のご理解とご協力によって私は再び自由の生活に。
ありがとうございました。
私を勇気づけてくれた友人、優しい心を届けてくれた住民の方、すぐに水とおかゆさんを持って走ってくださった隣人の方。

ありがとう。
84歳の老体に希望の光が再び輝き出しました。
ここに住んでいて本当に良かったと感じております。
大切にしたいハイムの暮らしを重ねてありがとうございました。

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